ブログネタ
【公式】最近どんなことで泣いた? に参加中!
やほやほ、今年の二月も昼夜の寒暖差酷くて体がもちそうにもないぺとりだよ。
“二月“と言えば二月の正しいイントネーション。
つい、に↑が↓つ↓と平行的に発音してしまいがちだが正しくはに↓が↑つ↑だそうで。
番組のナレーションとニュースなんかではイントネーションが違うのでついつい混乱してしまいがちだけど出来れば正しいイントネーションを使えたらいいよね。

イントネーションの話はよしとして最近泣きましたか?って話。

唐突な話であるが公式ネタに乗っかっているので悪しからず。

私はというと泣いてません。

歳をとればとるほど涙腺が緩むなんて言いますが私は加齢に伴い涙腺が縮まっている気がしてならない。

10年くらい前はよく泣いていたと思うのだが...。

一般的がどこのだれを指して述べているのかはイマイチわからないがメディアなんかでよく使われる一般的で言うとワールドカップ、オリンピック、ドラマ等が泣きの王道ではなかろうか。
個人個人の話だと家族の不幸とか離婚だとか挫折だとか十人十色だと思う。

だが私の涙腺は一般的なことではそうそう緩まないのだ。



と書いていて数年以内に涙腺が崩壊した出来事があったので当時の自分を弔うついでに書いていこうと思う。

去る2019年秋、祖父が亡くなった。

父方の祖父も亡くなっているのだが親の離婚に伴い会えてなかったので正直実感がわかなかった。
たまに子供時代かわいがってくれたことを思い出してはさみしさを覚えたり。

関わりが多い身内で言うと今回が初めてだった。

その日は正に仲秋と言える気持ちの良い日差しの日だった、いつもの日常、母に掛かってきた電話。

祖父が病院に運ばれたという、入院するとのことなのでお見舞いにと家族で祖父の暮らす地元へと向かった。
地元と雖も生まれ育った場所ではないなんて話は長くなるので割愛。





病院へ到着すると祖父は“人の器“だけだった。
心肺停止だった。

担架の周りを囲み泣きまくっている大人になるにつれ疎遠になっていっていた親戚達。

記憶にはない親戚達の素の感情。

一週間前には電話もしたし、一か月前には会いに行った。

私達家族が到着する数十分前まではまだ息があったらしい。

そこで私はまだ涙が出ることはなかった。

お見舞い感覚で来たので実感がわかなかったのかもしれない。
それとも普段から死生観について考えていたからか。

それから親戚達が慌ただしく動き回りそれを遠目に放心しているうちに葬儀場にいて用事がある親戚は一度自宅へ戻り、翌日お通夜の時間までに戻ることになった。

その夜、私たちの家族と祖母は葬儀場に泊りがけで“眠っている“祖父といた。私達家族は所謂長男長女家族だ。

慌ただしさも鳴りを潜め突如訪れる一旦の静寂。

家族たちはひとしきり泣いたり各々祖父に声をかけたり明日以降の段取りの確認などをしていた。

夜も更け私以外は眠りについていった。

朝からあまりにもたくさんのことがあり心身ともに疲れ切っていたはずだが、私は普段から活動時間が遅いこともあり眠れずにいた。

その当時私は数年前にトラウマとなるような出来事があり数年間自室に引きこもっていた。
このままじゃだめだ、決意が数年間のうちに重りをつけた体から外へ出た。

仕事にも復帰したり資格を取ってみたり私なりに努力をしていた。

子供の時から何かと迷惑をかけ、たくさん怒られ喧嘩した。

私は大人になったら恩返しをしたいそう思っていた、今はまだ旅行なんかには連れていってあげられないけどせめていい報告がしたかった。聞いて、いつものように𠮟咤激励してほしかった。

それは叶うはずもない願いだった。

“眠っている“祖父の前で一生分ではないかと思うほど数年分吐き出すように一晩中泣いた。

夜が空け、次第に再度集まってくる親戚達を一睡もできなかった私はどこかドラマでも見ているかのように遠目で見ていた。

お通夜、お葬式、火葬。

永遠にも思えたお経もいつからか止んでいた。

お葬式の前に親戚達が葬儀代のことなどでもめ始め、当時お金がなかった私の母に集中砲撃していたり見たくもないようなこともあった、私と違い出来の良い従兄弟といつものように祖父の目の前だというのに比較され蔑まれたりもした。

久々に外へ出たばかりの私にはとても泣きたくなるような出来事の連続であったが私は初日の夜以外、決して涙が落ちることはなかった。

祖父とのお別れの前、最後に私は「頑張ってみるから、安心して」とありきたりな言葉だけを伝えた。
色々伝えたいことばかりだったが結局はそれしか喉から先には出てこなかったのだ。

全行程が終わりを迎え帰路に車の窓から見た空は行きの時と同じ綺麗な秋空だった。



その後、親戚とは三回忌で顔を合わせて以降こちらからほぼ一方的にはなるが疎遠になった。

子供の頃は大好きだった親戚達だった。


あれ以来今も涙腺が緩むことはあっても泣くことはない、悲しい出来事や悔しいことは数え切れないほどあったけれども。

私は、祖父に涙と引き換えに何事にも負けない、そんな強い意志を貰ったのかもしれない。




なんて今回は色々思い出しちゃって真面目モードなぺとりでした。
今、近くにいる人がいる方はどうか、生きている今、その時間を大切にしてあげてください。
 たとえ、今その人が嫌いだったりひがみあったりしていたとしても。

誰も見てないのに自分語りタイムでした!
今回はここまで、また次回お会いしましょう。